無風庵 クリニックで一服いかがですか

茶の湯(健幸美)の世界へ

 茶の湯の究極的な目標は、人が生きるための美学を基本に茶道を通して、心と心の交わりを実現することです。

茶室へ

 茶の湯では亭主は茶の湯の世界で客を迎えます。客は現実社会から身を守る鎧を着たまま俗の世界から来ます。客は手と口を蹲踞(つくばい)で浄め、俗塵(ぞくじん)を洗い流し、狭い躙口(ひじりぐち)を潜ることで、俗世の職業や立場という鎧を捨てて丸腰になり、茶の湯の世界へ頭を低くして入って行きます。殺戮の中で戦国武将たちも刀を置き、大名、城主という立場から一個の人となって丸腰で利休の茶室の中に入って行きました。現代人が様々な社会のしがらみの中で、地位や職業、仕事や家事、人間関係などの鎧を脱ぎ捨てることから、健幸づくりの第一歩が始まります。

囲いの中で

 茶室は「囲い」と言われ、茶室の狭い空間は単に場を囲うだけではなく、世間の溢れる情報から一時的に切り離され、鎧を脱いだ心と身体をストレス社会から一時的に守ります。そして和文化の全てが凝縮された茶室では、五感が生き生きとして蘇り脳が活性化されて行きます。

 飲食を基本とした茶事は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感にわたる感覚の全てに働きかけ、健幸外来の五感療法として最高の文化装置です。さらに現代生活では季節を感じない日常となったために、茶室での季節感は五感を心地よく刺激することになります。

 そして鎧を脱ぎ捨てて軽く自由になった心と身体で人が自分自身に向き合え、さらに宇宙空間のあらゆるものとも向き合える場所が茶室です。茶室では場がきれいに浄められ、それぞれのものが生き生きと組み合わされ、互いが引き立て合うように飾られ、亭主と客の呼吸と間合いがうまく計られます。すべてあるがままに自然に時がながれて場と空間が運ばれて行きます。

一碗の中に美学が

 茶道における亭主のお点前は、それが一定の手順に従った美しい所作であることによって、迎えた客の心を落ち着かせ、一碗の茶に向かって亭主の生き様を集中させて行きます。日頃人間同士を隔てている身体や言葉が一瞬取り払われて、亭主と客の心と心が直に繋がっていると感じられる瞬間が生じます。その瞬間を成就させるために茶の湯では、亭主が点てる一碗に全てが集約されて行きます。

 日常茶飯の中に美を追求し、洗練された生活文化として始まったのが茶の湯です。そこから生まれる「生活美」こそ「人の生き方の美学」です。朝夕何気なく家族で囲む食卓、日々の仕事や学業の中で空気のように無意識に呼吸している日常の全てが、最終的に亭主が点てる一碗の茶に吸収されます。日本人が2千年培って来た日常茶飯の感性と美学、亭主の人格までが亭主の点てる一碗に集約されて行きます。そこに「生きるための美学」が自然に生まれます。

健幸美と茶道

今日、風はどっちから吹いていましたか。


風が頬にあっていましたか。


雲はどっちに流れていましたか。


五感を通した日々の生活から人の生命力が生まれます。

毎日の生活の中にこそ「健幸」の原点があり、生き生きとした生命力が私の提唱する「健幸」です。


私達が生まれ育った日本の2000年の歴史・文化・宗教・風習・習慣から私達の日常茶飯が培われ、春夏秋冬の季節を肌で感じ日々の生活習慣が営われて来ました。そして日常茶飯の中の美に対して高度な感性を磨き、 世界に類を見ない日本文化を築き上げました。 その感性こそが日本人の「生きるための美学」として受け継がれて来ています。


日々の日常茶飯から人生の質を高める「人が生きるための美学」が生まれます。


これが私の提唱する「健幸美」です。

健康とは

ごく当たり前に生まれ   ごく当たり前に成長し


ごく当たり前に年を取り   ごく当り前に病気に罹り


ごく当たり前に死ぬ


この当たり前の日常こそが健康です

健幸美の提唱

ありとあらゆるものに感謝のできる心と身体

恒風