■日本経済新聞 日曜日版| 連載『脳の健康法』 初出


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『わざわざジム通い』第1回
日経新聞 日曜日版    学生時代、運動部に所属していたころの体重は常に六十五キログラム。
百七十二センチメートルの身長から考えて適正な水準だった。
ところが、産婦人科医となって十年ほどたった時点では体重は八十キログラム、腹囲は九十二センチメートルと体系が大きく変わり「メタボ」になっていた。
 ある日、自分の採血をすると、本来は淡黄色で透き通っているはずの血清が白く濁っていた。分析してみると、正常値が一五〇未満とされている中性脂肪値が一二五〇と驚くべき結果。医師の不養生と言われても仕方がない。
 一念発起して水泳やウエート・トレーニングを始めたところ半年後に体重は七十二キログラム、中性脂肪値も八〇〇に減った。その後も運動だけを続け十年後には体重が六十八キログラム、中性脂肪値が二〇〇と「健康体」の水準に戻った。
 この経験を機に日本で最初の「健康外来」を、勤務していた病院で開設した。病気の治療よりも、健康を維持することに主眼を置いたのが特徴だ。開設当初は腹八分を心がけることや、栄養バランスの確保という一般的な食事指導、三十分間の有酸素運動、生活指導などを実施した。
 しかし、そのうちに疑問が沸々とわいてきた。現代人の多くはスポーツジムでトレーニングしないと筋力や持久力を保てない。健康食品を購入したり、栄養バランスを考えながら食べたりしているが、何かがおかしい。これで本当に健康になれるのか。なぜ、わざわざ運動指導や食事指導を受けて健康づくりをしなければならないのか。
 人間は地球上で長年かけて身につけてきた、環境に適応し健康に生きる生物としての本来の能力を失いつつあるようだ。スポーツジムで黙々と体を動かす人々は、このままではいけないという危険信号を発している。元気に生きる能力が低下している原因は身体的な問題だけではなく、脳の使い方、脳の健康状態にもあることがわかってきた。次回以降で詳しく話したい。
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『働き過ぎの 「理想脳」 』 第2回
日経新聞 日曜日版    人類の誕生以来、脳は発達を続け、その働きを通して人間は自然に生きる能力(健康に生きる力)を身につけてきた。日常生活で自然環境や社会環境を五感や認識力でキャッチし、それに応じて身体と精神を機能させている。
 脳の一番上位(外側)にあるのが「大脳」で、これには「大脳新皮質」と「大脳旧皮質」がある。大脳新皮質は言語、判断、思考、意欲、感情など高等で知的な活動をつかさどる。進化の過程で最もよく発達してきた部分で、「理性脳」とも言う。
 これに対して大脳旧皮質は食欲、睡眠、性欲、征服欲など動物が本来持っている機能を担い、「本能の脳」と言われる。両方の脳がうまくバランスをとることによって、人間は生きる能力を身につけてきた。ところが最近はあらゆる分野で変革が急速に進み、雇用形態、管理形態もめまぐるしく変化している影響でバランスが崩れてきている。
 厚生労働省の二〇〇七年労働者健康状況調査によると、「自分の仕事や職業生活に関して強い不安、悩み、ストレスがある」との回答は全体の五八%にのぼった。ストレスの内容は「職場の人間関係」が三八・四%、「仕事の質」は三四・八%、「仕事の量」が三〇・六%など。仕事がらみで多くのストレスを抱えている実態が読み取れた。
 こうした状況下では、「こうしなければ」「自分が頑張らなければ」「・・・してはいけない」といった大脳新皮質の理性の脳がより活発に働く。「休みたい」「眠りたい」「食べたい」といった欲求は抑圧され、大脳旧皮質の本能の脳が萎縮してしまう。
 勤務時間内はもちろん、情報技術(IT)の進歩によって、インターネットをはじめ様々な媒体から切れ目なく「意味のある言葉」が脳に入り続ける。これらの情報はすべて理性脳が受け止めて処理する。まさに休む間もない。
 原始の時代ほど人間は本能の脳に頼る部分が多かったが、今では理性脳の負担が重く働きすぎの状態になっている。それが精神や身体に様々なゆがみをもたらしている。
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『 「イライラ」 は警告する』 第3回
日経新聞 日曜日版    最近、無残な殺人事件が多い。「イライラして誰でもいいから殺したくなった」という理由も耳にする。背景の一つに心身のストレスがあるのは間違いない。ストレス反応をたどっていくと、脳の疲れの問題に行き当たる。
 大脳新皮質の「理性脳」と大脳旧皮質の「本能の脳」のバランスがうまくとれていると、その下の「間脳」に両方から指示が届き間脳が体に指令を出す。間脳は健康に生きるための管制塔といえる。体の働きをコントロールする自律神経やホルモン、食欲などの中枢があり、免疫や精神の状態ともかかわりがある。
 ストレスは五感を通して脳に入る。すると自律神経のうち交感神経が働いて血圧や血糖値が上昇したり、脈拍が速くなったり、筋肉が緊張したり、イライラしたりする。これらはストレスに対処するための警告反応である。
 そして、緊張状態を解くために起きるのが防衛反応だ。副交感神経の働きによるもので、リラックス反応とも呼ばれる。飲酒、喫煙を望んだり甘いものや脂っこいものが欲しくなったりする。マッサージやスパに行く人もいる。
 理性脳には、日ごろから情報過多で大きな負担がかかっている。ストレスが加わると「なんとかしなければ」「こうあらねば」と理性で行動しようとするので負担はさらに増す。一方で本能の脳は萎縮してバランスが崩れることは前回も説明した。この結果、大脳から間脳にうまく指令が届かなくなる。
 ストレスが長びき防衛反応でも解消できないと、間脳の正常な指令のプログラムが破綻して「脳疲労」に陥り、体や精神面に様々な障害が出てくる。異常な犯罪の引き金にもなりうる。脳疲労の考え方は藤野武彦・九州大学名誉教授が最初に提唱した。  最近、ほおで風を感じたことがあるだろうか。空を見上げて雲の流れを見たり、歩きながら花木のよい匂いを感じたりしただろうか。「それどころではない」人がほとんどかもしれない。常にストレスを抱える現代人の多くは脳疲労と紙一重のところにいる。
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『食べ過ぎや便秘の原因は』 第4回
日経新聞 日曜日版    食べ過ぎ、飲み過ぎ、便秘、下痢−−。飲食や排せつに関する悩みは実に多い。胸やけをなくす薬や便秘を良くする薬を手放せない人もたくさんいる。しかし、対症療法だけでは本当に治ったとはいえない。
 実は飲食などに関連したこうした問題の背景にも、脳の疲れがある場合が多いと考えられる。それを見誤ると調子はなかなかよくならない。解決へのカギは自律神経やホルモン、食欲の中枢がある間脳が握っている。
 ものを食べるとまず唾液が出て、かんだり飲み込んだりすることを助ける。胃に入ると胃が動き、胃酸が分泌されて消化が進む。さらに腸が動いて栄養を吸収し、不要なものは便として排せつされる。
 吸収された栄養は代謝というプロセスを経てエネルギーとして使われたり、貯蔵されたりする。糖質代謝によって血糖値が、脂質代謝によってコレステロール値が正常に保たれる。これらはすべて間脳に中枢がある自律神経がコントロールしている。
 間脳が正常なら多めの食事をとったとしても、余分な栄養は吸収しない。たとえ吸収したとしても、脂質や糖質代謝によって自然に排せつする指令を出してくれる。一連のプロセスは無駄なく、うまく進行するようにできている。
 間脳の食欲中枢は満腹感を感じた時には食欲を減らし、空腹を感じた時には食欲が増すように働く。この働きがしっかりとしていれば、そもそも食べ過ぎにもならない。
 間脳は常に、新しい環境に適応して生きる方向へと指令を出してくれる。健康を保とう、健康になろうとする方向へと導いてくれるのである。こうした能力は人類が環境変化を生き抜き、進化する過程で自然と身につけてきた。
 脳、つまり司令塔が疲れてくれば当然、その能力が損なわれ、あちらこちらに様々な障害が出てくる。食事の量を抑えられない、あるいは規則正しい快便がない、などは脳疲労に由来する障害の典型的な例だといえる。そう考えると様々な症状がよく理解でき、治療法も見えてくるのだ。
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『脳疲労テスト』 第5回
日経新聞 日曜日版    脳疲労の患者さんはまじめで粘り強く忍耐力のある人、責任ある地位に就き常に正しい行動や言動を求められる環境にある人が多い。他者を重視して本来の自分を抑え込んでいる。そして疲れた顔や悩んでいる顔を周囲に絶対に見せようとしない。その結果、誰にも気付かれないまま脳疲労が進行し、深刻な病気を引き起こしてしまいがちだ。
 「疲れやすい」「寝つきが悪い」「イライラする」「便秘気味」「過食傾向」「体重が増えた」「何をするのもおっくう」「読書が苦手」−−これらは脳疲労の初期症状である。自分が脳疲労にどの程度、近い状態にあるのかを知ることができるテストを紹介しよう。ここ二、三週間の状態を振り返り、以下の十一項目のおのおのについて「A・毎日」「B・週に二、三回」「C・週に一回未満」のいずれか一つを選んでほしい。
 最初の項目は、夜中に目が覚めたり用もないのに朝早く目が覚めたりするか。二つ目は寝付きが悪いことがあるか。三つ目は食について。決められた習慣に従って食べているかどうか。おいしくもないのに無理して食べることがあるか、という問いに置き換えても構わない。四つ目は便秘をすることがあるか。
 五つ目は疲れの感覚に関するもので、体を使わないのにヘトヘトだと思うことがあるか。六つ目は気持ちが沈んで暗い気分になることがあるか。七つ目の項目は、仕事や家事が面倒くさいと思うことがあるかどうか。八つ目は、外出がおっくうになることがあるかどうか。
 九つ目の項目はイライラすることがあるか。十番目は不安を感じることがあるか。そして、最後の質問は自分を責めることがあるかどうか。ありのままに答えることで自分の症状が正確に見えてくる。
 Aが一つ以上またはBが三つ以上あれば重度の脳疲労と判断される。Bが二つなら中度、一つなら軽度。Cだけしかない場合は脳疲労にはなっていない。中度以上の人は心身の様々な不調が目立ち始めているので注意が必要で、治療を考えなければならない。
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『五感療法』 第6回
日経新聞 日曜日版    従来の健康づくりや予防医学はメタボリック症候群、生活習慣病、精神障害などの表面的な症状に着目して取り組んできた。食事制限、栄養バランスの確保など食生活の指導や、運動、睡眠、休養、規則正しい生活の指導などすべてがそうだ。
 これは、病気の状態を強引に健康な状態に変える発想といえる。実際には川の上流に脳疲労があり、その結果、下流が汚染されて病気になることが多いのに、下流だけを見て健康づくりを奨励し川をキレイにした気になっていた。対策は禁止や抑制、強制の指導ばかり。脳が疲れている人にとっては不快として記憶され、かえってストレスを増やしていた。だから、リバウンドするケースも多かった。
 ではどうすればよいのか。脳疲労の状態を改善し、脳が本来持っている健康に生きる能力を回復させるのである。負担の大きくなった大脳新皮質の理性脳と、萎縮した旧皮質の本能の脳とのバランスを取り戻す必要がある。
 方法は二つある。一つは理性脳の負担を軽減する。つまり「こうしなければ」「こうあらねば」と自分で自分を禁止、抑制することをできるだけしない「禁止の禁止の法則」だ。二つ目は本能の脳を回復する。自分にとって心地よいことを一つでも始める「快の法則」である。
 二つの法則を実行するには「五感療法」が有効だ。我々は外界の情報を触覚や視覚、聴覚、嗅覚、味覚という五感でキャッチして脳に伝える。敵を発見したり、食べ物の腐敗や毒の有無、熱さなどを感じ取って食べるかどうかを決めたりする。季節の変化も五感を通して脳が察知し、適応のための行動を促す。
 この五感の働きを回復させ、脳の疲労を和らげる。五感をとぎすまし、感覚器から脳に入る情報を受けて自分の気持ちに正直に動く。健康によい習慣や食べ物だと言われても自分が嫌ならしない、食べない。健康に悪いと言われても好きでやめられないなら続ける。自分が好きなことや食べ物の中で、健康によいものから選んでゆけばよい。
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『快食療法』 第7回
日経新聞 日曜日版    効果的で最も始めやすい脳の健康法は、生きるための強い本能である食欲を利用した「快食療法」だろう。
 自然界の動物はおなかがすいてから餌を探しに出かける。それまでは脳から指令が出ない。満腹中枢が満ち足りている時は必要以上に食べない。だから肥満した動物は自然界にはいない。肥満症になるのは人間とペットや家畜、養殖した動物くらいだ。
 快食療法は自然界の動物に近づくことだとも言える。おなかがすいてから好きな物、食べたい物だけをおいしく楽しく、心ゆくまで食べる。就寝直前や十時、十一時でもよい。健康に良い食材を、とは考えない。脂っこいものや味の濃いもの、洋食でも中華でも、最もおいしいと感じる味付けがよいのだ。食材をかみしめて味わってほしい。
 「健康に悪いものを食べた」「食べ過ぎた」と後悔するとストレスとなり逆効果で、快食と言えなくなる。家族にもそんなことを言わないよう頼んでおく。「ああ美味しかった。ごちそうさま」と言葉に出すことは効果的だ。
 江戸時代中期までの日本は一日二食だったという。特に朝食は理想的だった。起床後はかまどに火をおこして飯を炊き、おかずを作り、野良仕事などを終えてからゆっくりと朝食をとっていた。体も脳も目覚め空腹も感じていた。朝にしっかり食べるから昼食はなくても大丈夫。仕事から帰ってちょうど空腹感が出てきたころに夕食となった。
 現代人の多くは夜型の生活で、朝起きてすぐに朝食をかき込むことが多い。脳も体も目覚めておらず生理学上、夜食と同じとなる。無理に朝食はとらず、起きぬけに多い軽度の脱水状態と低血糖状態を解消するために適度な水分と糖分を補給すれば十分だ。
 昼は快食してもよい、夕食までのつなぎと考えてもよい。つなぎなら、その後おなかがすくまで待って夜に快食すればよい。甘いデザートを食べたいからと、夕食を減らしてはいけない。「禁止」はストレスを生む。理性で考えずに、本能で体験することから治療は始まる。
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『焼肉好きの人のケース』 第8回
日経新聞 日曜日版    以前、あるテレビ局が「快食療法」の特集番組を放送したことがある。何人かの太った人に指導し、一カ月後にどれだけやせたかを検証しようという企画だった。ほとんどの人は指導後に体重が三キログラムぐらい減ったが、一人だけ、やせずに予定通りに進まなくなったケースがあった。
 その方は最初にクリニックに来た時はビールや焼肉が大好きだった。よく仲間と焼肉店に行き、相当飲んだり食べたりしていた。そして、中程度の脳疲労が認められた。快食療法がビール、焼肉の飲食にまったく制限を設けないことに驚き、喜んでいた。
 指導を始めてから一カ月後、テレビ局がやせたところを取材しようとクリニックに来たが、期待に反して最初に八九・六キログラムあった体重は九一・九キログラムに増えていた。体脂肪率は三一・三%から三三・四%に、中性脂肪も正常値の一二〇から二〇六にそれぞれ増加しており、思ったようにはいかなかったのである。
 しかし本人はやる気満々で、その後も快食を続け、半年後に再びテレビ局のスタッフとともに体重を測定しにやってきた。すると、何と体重は八一・二キログラムで以前に比べて一〇キログラムも減っており、体脂肪率も二八・三%に減少、中性脂肪値は六九まで下がっていた。脳の疲労も全く認められなくなっていた。
 体重も体脂肪率も、脳の疲れ具合のバロメーターと考えることができる。脳が疲れている場合、快食療法を始めると一時的に体重が増えることはあっても、脳が健康になるに従って消化、吸収、代謝、排せつが正常に戻り、体重は減少してゆくのである。そして自然に健康に良いものを食べたくなる。
 ちなみに、やせすぎの人が快食療法をすると体重は増える。快食療法はやせる方法ではない。あくまでも食事を通して脳の健康を回復する方法で、何億年もかけて進化を遂げてきた本来の素晴らしい脳に戻すのが目的だ。指導を受けたご本人は「ビールの量は減り、焼肉は食べたくなくなり、野菜が食べたくなりました」と満足そうだった。
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『糖尿病・高脂血症』 第9回
日経新聞 日曜日版    四年ほど前、五十歳のビジネスマンがクリニックにやってきた。初診時の身長は一七六・八センチメートルで体重が一〇一・三キログラム、体脂肪率は三三・七%で「超肥満」だった。
 血糖値は一九三ミリグラムと高い値。過去一、二カ月間の糖尿病の指標である「グリコヘモグロビン」(HbA1c)値も七・一%と高かった。総コレステロール値は二三一、中性脂肪値は二五五。糖尿病と高脂血症を併発し、脂肪肝も認められた。脳疲労状態は中等度と判断された。
 薬は処方せずに、快食療法を始め経過を見た。すると二カ月後に血糖値は二八六ミリグラムに上昇し、中性脂肪値も四五〇に上がるなど数値は悪くなってしまった。体重もまったく変わらなかった。
 効果がはっきり出てきたのは初診から半年たってからだ。体重は九七・七キログラム、血糖値は一〇六ミリグラムとほぼ正常になり、HbA1cも六・一%に減った。中性脂肪は初診時並みの二五三に戻った。
 この患者さんは今もクリニックに通い続けており、体重は七六キログラムと随分と減っている。血糖値は一年後に九二ミリグラム、HbA1cも四・七%に下がり、その後も正常値を保っている。中性脂肪は六一−八〇の間を上下しており、極めて低い数値だ。
 好きな物を好きなだけおいしく食べ続けて、なぜ太らないのか疑問に思う人もいるだろう。脳が健康に向かえば代謝も活発化し、余分に吸収した分は排せつなどで出て行く。自然に大食いはしなくなるのである。この患者さんも食習慣に大きな変化が表れた。強制しなくても食べる量が減り、健康に良い食材を自然に好むようになった。体も動かすようになったという。
 従来のようなカロリー制限による食事指導や運動では一時的な体重のコントロール(対症療法)はできても、根本治療にはならない。「禁止を禁じる」「心地よいことをする」という法則に逆行して長続きしない。強制的に健康を取り戻そうとするのではなく、健康になったから自然と運動がしたくなる。こうして心身の状態が上向く好循環を作り出す。
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『ストレスで月経不順』 第10回
日経新聞 日曜日版    筆者は学生時代に内分泌学に興味があったため、この分野と関係が深い産婦人科へ進んだ。研究テーマは脳の疲れとも深いかかわりをもつ脳下垂体ホルモンだった。それがいまの診療に役立っている。
 臨床現場では、ストレスが原因で女性が月経不順や排卵障害を起こすケースによく出合う。ストレスで脳の健康が損なわれて間脳のホルモン中枢である視床下部−下垂体からの指令に破綻が生じ、卵巣の機能不全が生じたという説明が成り立つ場合が多い。
 他の診療内科に一年ほど通院していた三十九歳の女性が、生理不順と倦怠(けんたい)感、むくみ、のぼせ、肩こりがとれないと訴えて外来受診にやってきた。本人は「プレ更年期障害」、つまり更年期障害の入り口の症状と考えていたようである。
 しかし、仕事と家事の負担の大きさからストレスを抱えている可能性があった。脳疲労テストで重度という結果が出たため、心療内科で処方されていた内服薬に少し抗うつ剤を追加した。脳の健康状態の説明をして、しばらく様子を見ることにした。
 二週間後も脳の疲れ具合は変わらず、さらに不眠も訴えたので、初めて快食療法を指導した。一カ月たつと、それまで面倒でできなかった料理がほんの少しだけできるようになったという。気分も少しだけ楽になったようだった。
 自分の脳の健康状態について本人からご主人にも話し、家事などを少し手伝ってもらうようになった。自分の状態を人に話せるようになったこと自体、脳が健康を取り戻しつつある一つの証しといえる。実力以上に背負っていた大きな荷物を少し降ろすことができて、症状は徐々に快方に向かい以前ほどの落ち込みもなくなっていった。
 人は誰でも落ち込むが、元気な人ほどその程度は浅く回復しやすい。この回復力は、脳の健康度合いを示す物差しの一つである。女性は一年後に生理も順調となり、さらに妊娠するに至った。超音波エコーで胎児の心臓を確認でき、一年前の疲れていた表情は消えて母親の顔になってきた。
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『薬の処方量少なく』 第11回
日経新聞 日曜日版    筆者はあまり薬が好きではなく、脳の疲れがある患者さんにも軽度の場合には薬を使わず五感療法のみで対応する。重い場合には少量の抗うつ剤や入眠剤を処方するが、患者さんには「薬は足をねんざした時のつえのようなもの。あった方が日常生活は楽になりますが、それだけでは治りません」と説明している。
 薬の助けを借りたとしても、脳が元気になるには五感がきちんとと働くよう導くことが大切。薬を処方した場合でも、五感の回復への近道である快食療法を実施している。
 不眠に高血圧、高脂血症が重なって来院した四十二歳の男性は何をするのもおっくうで重い脳疲労と判断された。初診時には一般的な処方量の半分の抗うつ剤と入眠剤を処方した。快食療法の指導も始めた。一カ月後、気分が少し楽になり眠れるようになってきた。さらに一カ月後には仕事を変える決断をした。何もする気になれなかった状態から脱し、行動を起こしたのだ。脳の疲れはかなりとれ気分もさらに良くなっていた。高脂血症も改善に向かった。
 地方から上京、就職した二十三歳の男性の場合は東京での暮らしが合わず、会社でも上司とそりが合わずにストレスから出社拒否の状態で来院した。最も重い脳疲労の状態と診断されたため診断書を出して休職させた。通常の量の半分の抗うつ剤と入眠剤を処方し快食指導を実施した。
 一、二カ月経過時点ではあまり改善がなかったが粘り強く指導を続けた。三カ月目にようやく本人は「少し気が楽になった」と言い始め、さらに一カ月後には脳の疲れが改善しだし薬も不要になった。上司と話し合う前向きな姿勢を取り戻し会社に復帰した。
 多くの人は知らぬ間に様々な荷物を背負い込んだまま、下ろす勇気を持てずにいる。それが脳の健康を妨げる。「荷物をちょっとだけ下ろしてみるのも楽しいかもしれない」と発想を変えてはどうだろうか。快食療法はそのお手伝いをする一つの方法だ。大きかったストレスが案外小さく見えるようになれば、脳が元気になった証である。
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『更年期障害の引き金』 第12回
日経新聞 日曜日版    健康外来を始めてから数年後に、勤務していた病院で「はつらつミディ外来」という更年期外来を開設した。そのころは、今でも更年期障害の有効な治療法とされるホルモン補充療法が広がり始めており、筆者もその効果に注目していた。
 はつらつミディ外来の開設にあたっては精神科部長とも協議した。更年期障害を起こす女性と起こさない女性との差が明らかでなく、婦人科に加えて精神科の観点からも分析が必要と考えたからだ。性格テストなど様々な調査や試験をしたが、はっきりとしたことはわからなかった。いま振り返ってみると、ヒントは脳の健康状態にあったのだ。
 のぼせ感、発汗、動悸(どうき)、肩こり、不眠などの症状で他の婦人科を受診し、更年期障害と診断された五十三歳の女性の例を紹介しよう。一年半ほどホルモン補充療法をしていたが、のぼせ感と発汗以外は症状が改善しないため、筆者のところにやってきた。脳疲労テストをしたところ、重度と判断された。最初はホルモン補充療法を続け、それ以外に通常の三分の一程度の抗うつ剤を処方した。
 二週間たち、症状が少し良くなるのを待って脳の健康に関する説明をし快食療法を指導した。三カ月後には抗うつ剤は中止し、ホルモン剤も少しずつ減らした。半年たつと、ホルモン剤を打ち切れるまでに回復した。
 五十歳前後で不定愁訴を訴える患者は、更年期障害と診断されることが多い。しかし、その多くは脳の疲れが引き金になっていると考えられる。のぼせ感などはホルモン補充療法でも改善しやすいが、自律神経失調症やうつなどの精神障害はそれだけでは改善しにくい。
 特に女性の場合、内分泌的要因に加えて介護など社会的要因、家族や友人関係による精神的要因などによって脳の健康が損なわれがち。そこに閉経が重なって、更年期障害が生じることが多いのではないだろうか。閉経前から脳の疲れがたまっている場合には、更年期障害の症状も一層出現しやすいようだ。
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『粋なおばあさん』 第13回
日経新聞 日曜日版    以前、クリニックと同じ地区の保健所から時折、講演依頼を受けていた。保健所の方々が高血圧、高脂血症、骨粗しょう症など話題のテーマを選んでいた。聞きに来られるのは、こうした症状に関心のある六十歳前後のご婦人方が約九割を占めていた。  参加者の中に一人の世話好きなおばあさんがいた。講演後、「先生、私の友人にろくでもないのがいるのです。自分の健康に無頓着で、色々と考えていると言いながら間違った方法をとっているようなの」と心配して筆者に相談してきた。そして「一度健康外来で先生に指導してもらった方がいいので行かせます」と言って、本当に友人を連れてクリニックにやってきた。
 その友人は、当時の健康外来受診者としては最高齢の七十八歳のご婦人だった。つえをついて来られ、少し疲れているようで顔につやがなかった。他の内科で「糖尿病になりかけているのでやせるように」と指示されたとのこと。体重は四十八キログラム、体脂肪率は四四%で高度肥満の状態だったが、変形性膝(しつ)関節症のため足が不自由で、運動を勧めるには不向きだった。にもかかわらず、歩くことを指導されていたという。
 筆者はおいしく食べる快食療法を教え、天気の良い日だけ無理せずに気が向いたら散歩でもするように勧めた。同時に下肢の筋力アップの方法も少し指導した。その後、この方は無理に運動することなしに少しずつ快食ができるようなっていった。
 半年後に来られた時には、体脂肪率は四〇%を切るところまで下がっていた。それにも増して顔を見た瞬間に、健康を取り戻されたことがすぐにわかった。目の輝きが以前と違い、品の良さを感じさせる顔にはつやが戻っていた。検査データだけではわからないが、これこそが健康の証しなのである。この時、おばあさんは筆者に見せるために真っ赤な色をした粋なセーターを着てこられたのだった。
 「健康とは何ですか」と聞かれると「粋であること、輝き、色気、それと品格である」と答えることにしている。
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『正常値症候群』 第14回
日経新聞 日曜日版    体の具合が悪くて検査を受けたものの結果に問題がなく、医師から「何の異常もありません」と言われる−−−。多くの方がこんな経験をしているのではないだろうか。
 現代医療では検査で異常がなければ病気は存在せず健康な状態で、体調が優れないのはストレスのせいだ、などと診断されることが多い。患者さんも検査が正常なら安心しがちだ。検査値に特別な異常がないのを確認しないと、心配で仕方がない人もいる。
 運動の指導を受けたいと健康外来に相談にやって来た六十六歳の男性は、身体計測や血圧測定のたびに「正常値ですか」と質問してきた。脳疲労テスト、心理テストの結果も完璧といえるほど良好で、睡眠、休養、運動、生活態度も非の打ち所がなかった。健康志向が相当強いため、かえってどこかに問題があったらどうしようかと不安になっているように見受けられた。
 そもそも正常値と言われているものは、測定値がそこからはずれている場合は病気の危険性があるという平均値にすぎない。決して実際の健康度を示しているわけではないのである。筆者はこの男性のような状態を「正常値症候群」と名付けている。
 外資系企業の四十六歳の男性が健康チェックに来た時にも似たようなことがあった。自分でしっかりと健康管理をしており、食事のバランスや運動習慣なども完璧。脳の疲れ具合も問題なかった。勤務先では自己管理の状況までが評価の対象になるため、自分の健康管理の効果を知って安心したかったようだった。
 二人に共通しているのは、現在広く行われている一般的な健康理論に縛られすぎている点だ。測定上はいわゆる健康状態だが、それはあくまで理性脳によってつくられたもの。実はもろく、理性で健康管理しようとすればするほど自分自身をがんじがらめにしてしまう危険性がある。
 二人とも顔の表情に余裕がないことが引っかかった。本能の脳に従ってもっと自由に、もっと自然に生きれば本当の健康にたどり着けるのにと残念な気持ちがした。
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『病気も健康の一部』 第15回
日経新聞 日曜日版    筆者が「健康外来」を始めた十八年ほど前に比べると、現在は健康に関する情報があふれ、人々の関心も知識も格段に高まっている。ただ、西洋医学に基づく偏った考え方が多いようにも感じる。
 西洋医学は基本的には病気の原因、メカニズムを解明して治療法を探し出す「病気の学問」である。筆者自身も西洋医学を学んだので、当初は「病気」の対極にあるものとして「健康」をとらえるという、単純な二元的な見方しか持っていなかった。
 以前の筆者と同じように、多くの人は健康づくりを病気の予防策と定義し、病気でない状態が健康状態と考えがちだ。しかし、病気にかかっていない人や決して病気にならない人がいるだろうか。西洋医学的な定義にとらわれすぎると、健康な人は存在しないことになってしまう。この考え方では行き詰まり、本当に必要な対処法が見えない。
 そこで、病気と健康とを対立軸でとらえず、病気も健康の一部と考える新しい概念を広げたいと考えている。健康かどうかを病気の有無で判断するのではなく、「たとえ病気があってもどれくらい元気に生きているか」を健康度の重要な尺度と考える。
 たとえば重い病気やがんを患っていたり障害があったりしても、それを受け入れ、毎日が充実していると感じ生き生きと元気に過ごせる人は健康の度合いが非常に高い。逆に病気や障害がなくとも毎日を何となく過ごし、単にスケジュールをこなして元気に輝いていないような人は健康度が低く対処が必要なのだ。
 人間ドックの検査で異常がないと「健康だ」と思う人が多いが、それは病気が見つからなかっただけである。人間ドックで健康度は検査していない。心の中に自分の「健康感」をもっている人こそ健康人だといえる。
 健康度が高い人は結果的に病気にかかりにくかったり、たとえ病気になっても経過が良かったり、回復が早かったりする。改めて「健康とは」と自問自答してみれば、自分の心や体を顧みるよい機会ともなるだろう。
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『肯定から始める』 第16回
日経新聞 日曜日版    医療現場では病気にかからないように、病気を悪くしないようにと患者を指導する。患者のしていることを否定し、「これをしてはいけない」「こうしなさい」と禁止と強制で指導を始めることが多い。病気にかからせたり、悪化させたりしたら責任重大と考えるからである。
 これに対し、脳の健康法の基本にあるのはあくまでも「禁止することを禁止する」「快を大切にする」の二つの法則だ。すべてを受け入れ肯定することから始める点が、従来の医療で実施されてきたことと根本的に違う。ストレスがあるから過食や偏食になり、喫煙も飲酒もする。それを受け入れずに否定すれば、ストレスに対して自らを支えきれずに倒れてしまう。
 人は本来、「ごく当たり前に」生まれ、成長し、病気にかかり、年をとり、そして死ぬ。脳は、この一連のプロセスをコントロールしている。自分の行動を否定したり禁止したりすることは、ごく当たり前のプロセスと相いれない。制約を取り払った方が脳は健康に動くはずで、それができれば健康の知識も「理性脳」で意識した健康づくりもほとんど必要でなくなる。
 何度か紹介してきた快食療法を不思議に思った読者もいるかもしれない。しかしこれは決してとっぴな方法ではなく、視覚、聴覚、嗅覚(きゅうかく)、触覚、味覚という五感を十分に働かせてごく当たり前に生きるための方法の一つである。脳に心地よさを与えることによって、ストレスに押し倒されない良い支えを提案することもできる。
 脳が春夏秋冬の自然や自分の体調を五感でキャッチして、自然な生活リズムを営むのが人間本来の姿だ。ところが現代の健康づくりでは、生きるためのテクニックばかり教えている。
 私たちが毎日営んでいる日常生活の中にこそ健康の根っこがある。さらに言えば、ごく当たり前に生きることが健やかな死にもつながるのではないか。以前に勤めていた病院の院長の「健やかに生きることは、健やかに死ぬこと」という言葉が忘れられない。
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『私の健康法』 第17回
日経新聞 日曜日版    「氷が解けたらどうなりますか」と聞かれ、「水になる」と答える聡明な大人は多い。春になると決め事のように大勢が花見に出かけるが、桜の幹に触って春の息吹を感じてくる人は少ない。五感を働かせて感じていない人があまりに多いようだ。
 「パパラギ」という本の一節が心に残っている。昔、南の島の首長が欧州を視察した。戻ってから島民に、「欧州には人が作った便利な乗り物や立派な建物やきれいな道があった。我々には神が創った空と海と風がある」という趣旨の話を自信をもってしたそうだ。自然に生きることを大切にし、自然に感謝する心が伝わってきた。
 「健康とは何か」という根本的な疑問に、筆者がさんざん苦しんでたどり着いたのは「健康とはありとあらゆるものに感謝できる心と体」という定義だ。最近、「感謝」という字の中に「心」と「身」があることに気付き、わが意を得たりと思った。
 筆者の健康法は簡単だ。大好きな場所で大好きな患者さんを相手に、大好きな人たちと大好きな診療と五感療法をして、大好きな家族と犬たちと快食をする。大好きな仲間と語り、大好きな運動をし、大好きな海で潮風を胸いっぱいに吸う。そこにはいつも大好きな自分がいる。すると自然と感謝の気持ちが湧き、知らぬ間に元気になれる。これが「当たり前」の日常だ。
 現代人は知的中枢である大脳新皮質と、本能の脳といわれる旧皮質の働きのバランスが崩れて脳疲労に陥りがちだ。その結果として間脳から正常な指令が出せなくなり、五感異常が現れる。そして体や精神面の不調が出てくる。
 脳疲労の考え方は、もともとは九州大学の藤野武彦名誉教授が打ち出した。連載で取り上げた患者さんに実施した脳疲労テストや治療法は、これを土台として筆者なりに応用法を考え工夫したものだ。
 脳疲労に着目した診断や治療は実際に多くの患者さんで効果をあげ、データも蓄積されてきている。一人でも多くの人が健康を取り戻す一助となるなら幸いである。
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